温泉旅行記
2017年3月11日土曜日
伊勢
伊勢の温泉は、淡白だ。でも湯船から伊勢湾の大小の島が夕日に映えるのは、温泉の暖かさと赤く燃える海とその調和が良い。
調子がさしてよくなかったが、少し楽になったのは、伊勢神宮お参りの効果かも?だが、この2か月後に3か月の入院となった。既に1年前から進行していたらしいが、よく行けたものだ。
修善寺
修善寺温泉は静かでゆっくりと温泉の雰囲気を味わえるところだ。多分、その想いは夏目漱石や井伏鱒二など多くの文学者が逗留した気持ちと変わらないでは、と勝手に思っている。竹林の中に佇む
旅館、香で焚きこまれた廊下、檜風呂の香り、にゆっくりと出来た。「さざんかの宿」は修善寺が背景と言う。言われれば納得。
玉造温泉
玉造温泉は出雲大社に行った折、浸かった。肌に良いというが、たしかにすべすべ感は増したようにも思えた。玉湯川にそった奈良時代からの温泉として長く続いてきたのであろう。その趣は城之崎に似ていた。出雲国風土記には、玉造温泉に入浴のためたくさんの人が集まり、「市」も開かれた、という記述がある。今は、そのような活気は見られないが、静かで数日逗留したいと思いにもかられる。
熱海
熱海は青春の思い出の多い温泉だ。会社の忘年会や気の合った仲間と行ったものだ。当時は、温泉の良さはほとんどわからず、歓楽街を歩きまわったことと湯船から見える太平洋の青さの記憶しかない。また温泉街の栄枯盛衰を感じたところでもある。バブルで湧いたころの団体客が少なくなるにつれて何度目かにはうら寂しささえ感じた。だが、友との湯船や夜通しの飲み明かしなど裸の付き合いの初めての場所でもあった。最近は、落ち着いた雰囲気の街になったと聞く。また訪れてみたいものだ。
郡上八幡
郡上八幡の温泉は単純泉であり、淡白な味だ。しかし、西国33か所の最後の札所、谷汲山華厳寺での帰りでもあり、心軽き旅となった。さらには、八幡は水の街だ。そのさざめきがその心根に響いたのかもしれない。小さなお城のかわいらしさと四方から聞こえる水音は満願成就の2人に温泉の心地よさと安らぎをくれた。
八尾山田温泉
9月とはいえ、そぼ降る雨に濡れてようやく宿の温泉に浸かれた時の安堵、体が融けていくようだった。温泉の良さをあらためて感じた。越中八尾の風の盆を見にいった時、風の盆の情景とともに、忘れられない時間だった。ここは、高橋治氏の「風の盆恋歌」で一躍有名になった。また、石川さゆりさんが歌う「風の盆恋歌」もある。風の盆恋歌の一番目の歌詞は次のようになっている。
「蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉
若い日の 美しい 私を抱いてほしかった 忍び逢う恋風の盆」
町は石と水の街だ。小説はかっての恋人同士が1年間に3日間だけ再び愛し合う小説であり、夜の踊りは編み笠の女性とともに、その甘き情景を醸し出す、そんな街でもある。たしか温泉は、近くの山田温泉と思っているが。
南紀勝浦温泉
南紀勝浦温泉、洞窟風呂や海岸の露天風呂、と中々に楽しい。
西国三十三所札所一番那智山 青岸渡寺」の帰りだった。
札所はすべて観世音菩薩を本尊とする寺。この菩薩は現世の衆生の嘆き悲しみを聞き、もらさず救うため、33の姿に変化されるといわれる方だからだ。この33カ所の観音霊場を巡れば、この世で犯したすべての罪業が消滅し、極楽に往生できる。これが「西国三十三所巡礼」の根底にある教えという。ゆえに、訪れたすべての寺で「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」と唱えなさい、とする手引書もある。西国三十三所巡礼は観世音菩薩と「同道二人」で行く道だが、すべて妻と一緒であり、「同道三人」かもしれないが。さらに罪業が消滅したかは、分からない。合掌
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